INTERVIEW
研究者インタビュー
2025.05.19
研究者インタビュー
Vol.74
がん患者に寄り添う災害看護とは―命をつなぐ支援体制をめざして

災害が起きたとき、医療現場では「命を救う」ことが最優先されます。しかし、慢性疾患やがんと向き合う患者にとっては、その後の「命をつなぐ」支援こそが重要です。東京科学大学で災害クリティカルケア看護を専門とする今津先生は、災害時におけるがん患者の困難に注目し、研究と支援の仕組みづくりに取り組んでいます。今回は、先生がこの分野に関心を持ったきっかけから、現在進めている研究、そして産学連携の可能性まで、幅広くうかがいました。
- プロフィール
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東京科学大学
災害・クリティカルケア看護学分野
准教授
今津陽子先生
私が聞いてみました
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医療イノベーション機構イノベーション推進室URA
インタビュアー詳細
細川奈生
研究について
先生の自己紹介をお願いします。
- 今津:
- 東京科学大学保健衛生学研究科 災害・クリティカルケア看護学分野に所属しています。当科の佐々木教授は、クリティカルケアや救急看護の教育に長年携わられていますが、私の専門は災害看護です。 災害看護に関する研究では、災害発生直後の対応だけでなく、時間が経過してからのことや、平時の備えについても取り組んでいます。
研究室では、急性・重症患者看護専門看護師の資格取得をめざす大学院生の育成にも携わっており、関東では急性・重症患者看護専門看護師教育をおこなっている施設が限られているため、関東近辺から学びに来る学生もいます。
この分野の研究や教育に携わるようになったきっかけを教えてください。
- 今津:
- クリティカルケアの話をしたのですが、私のもともとの専門は、がん看護です。がん看護にもいくつか分野がありますが、そのなかでも口腔がんや喉頭がんなどの「頭頸部がん」を専門としています。初めて勤めた病院で頭頸部がんのケアに携わり、患者さんの色々な苦痛や辛い状況を近くで見るなかで、この分野の研究に興味を持つようになりました。今取り組んでいる研究テーマは「がん患者の災害時の備え」 です。加えて、今年の4月からは新たに「化学療法中の患者の災害対策」というテーマにも取り組む予定です。大学院在学中は、頭頸部がんの手術療法によって「食べること」「話すこと」が困難になった患者さんを対象として、栄養支援プログラムを作成しました。
- ちょうどその頃東日本大震災が発生し、私自身が帰宅困難者となった経験によって、災害時に看護職としてできることには何があるのか、と考えるようになりました。その年、復興支援活動のために被災地を訪れました。現地で被災者に提供されている食事を見て、頭頸部がんの患者さんが被災したら、適切な食事を摂ることができない状況を目の当たりにしました。放射線治療をしている患者さんの場合は特に、嚥下が難しくなるため、被災地でよく提供されているおにぎりやパンは、頭頸部がんの患者さんにとって非常に飲み込みにくい食品です。現地ではがん患者さんと直接お会いすることはできませんでしたが、その状況を目にしてから、私が災害看護において取り組むべきテーマを確信しました。この経験こそが、災害時の看護に関する研究を始めるきっかけです。
震災は健康な人にとっても過酷な状況であるなかで、がん患者さんにとってはさらに大きな困難を伴うと思います。個々に合わせたケアが必要となりますが、被災地で個別性のあるケアを提供できるまでには、どのくらいの時間がかかるのでしょうか。
- 今津:
- 被災直後は、個別的なケアはかなり難しい状況です。とくに発災後1週間程度は、患者さん自身に乗り切ってもらう必要があると感じています。現場では災害派遣医療チーム(DMAT)や災害支援ナース が活動していますが、そこでの目的は、できるだけ多くの命を救うことであり、それが第一優先となります。よって、個別のケアにまではなかなか手が回らないのが現状です。

- しかし、がん患者さんにとって、ニーズに合った支援が滞ることは大変不便で苦しいことです。実際に、東日本大震災の際に、がん治療が1ヵ月以上中断されてしまったケースもありました。また、避難所生活における周囲からの誤解も、問題の一つです。がん患者さんはさまざまな症状に苦しんでいるなか、周囲への遠慮や配慮によってそのような状況を伝えづらいと思います。その結果、倦怠感が強くて横になっていると「あの人は避難所で何もせずにずっと寝ている」「避難生活に協力的じゃない人」と見られてしまうことも少なくありません。
大前提として災害看護の主軸が「大勢の命を救うこと」であるのは確かなのですが、がん看護を専門としている立場からは、がん患者さんのように特別な配慮が必要な方にこそ、焦点を当てて支援したいという思いがあります。ただ、そこがなかなか災害医療の現場と結びつきづらいのが現状です。今の課題は、被災後1週間程度経過し支援が入り始める段階で、個別性のあるケアをどう実現していくかを考えることです。また、がん患者さんが避難所でも安心して生活でき、治療を受けられるような支援の仕組みを作っていく必要があるとも感じています。がん患者さんの災害時の課題は、単に医療の問題にとどまらず、社会の理解や支援のあり方にも関わるものです。支援体制の見直しや、がん患者さん自身の事前準備が、今後の災害時のケアのあり方を変えていく鍵となるでしょう。
一人ひとりの患者さんへのケア以外に、患者さんたちが置かれた環境や取り巻く状況について、現在見えている課題と、それに対して考えられる解決方法について教えてください。
- 今津:
- 災害時の医療支援では、どうしても緊急性の高い人が優先されます。既往歴がある方々のなかでも、人工呼吸器を必要とする方や、高血圧・糖尿病などの患者さんの支援が先に進みます。がん患者さんの場合、すぐに命につながる状況が伝わりにくく、優先順位が低くなってしまいがちです。がん患者さんにとっては何よりも治療を途切れさせないことが重要でありながら、災害によって治療がストップしてしまう状況があり、その後の病状や予後に大きく影響することもあります。それにも関わらず、災害医療の現場ではがん患者さんの優先順位が低くなってしまう。この大きな原因に、がん医療と災害医療のつながりが弱いことがあげられます。がん治療を専門としている医療者が災害時の対応について考える時間は少なく、反対に災害医療の現場においてがん患者さんの話があがることもほとんどありません。結局「災害看護」と「がん看護」の両者がつながっていないのです。災害時のがん患者さんの支援の拡充のためには、両者のギャップを埋めることがまず必要だと思います。
また、医療機関同士の連携も課題のひとつです。東日本大震災の際は、被災地の病院に勤務する医師たちが他の病院へ患者さんを転院させることで、なんとか治療を継続できました。しかし、これは正式な仕組みに基づいたものではなく、現場の努力だけで成り立っていたものです。今後同じような状況が起きた時に、当時と同じようにうまく対応できるとは限りません。実は、新型コロナウイルスのパンデミックで病院が逼迫していた際にも、がん治療を受けられなくなった患者さんが大勢いました。その経験から、国としても対策が必要だという流れになり、20234月には、地域がん診療連携拠点病院には事業継続計画(BCP)の作成が望ましい要件とされました 。これにより、災害時にがん治療が途切れない仕組みづくりを始めることができたのではないでしょうか。最近では、患者会においても災害時の対策について取り上げられるようになり、少しずつ動きが出てきています。今後は、国全体で、災害時にがん患者さんが取り残されないような支援策を整えていくことが求められています。
先生は具体的にどのような活動をされていますか?
- 今津:
- 2014年より、日本がん看護学会の中で「災害がん看護」というグループに参画し、がん患者さんが災害時に置かれる状況について調査してきました。その後、新型コロナウイルスのパンデミックが起きた2020年、当時の学会の理事長が日本がん看護学会災害対策委員会を立ち上げた際に、お声掛けいただきました。それ以来、委員として活動を続けています。新型コロナウイルスの流行当初は、抗がん剤治療を受けている患者さんの感染リスクが高いことが問題でした。そのため、看護師さん向けに、治療計画の変更や感染対策についてまとめた手引きを作り、患者さんへの説明が適切にできるように整えました。現在は、新型コロナウイルスの影響が落ち着いたこともあり、再び災害時のがん看護に焦点を当てた調査を進めています。
研究の今後の展望や、目指しているゴールについて伺えますか。
- 今津:
- まずは、患者さん向けに災害時の備えに関する教育プログラムを作りたいと考えています。実際に被災したがん患者さんの経験から得た知見をもとに、必要な備えについてツール化することで、患者さんの理解と行動につなげられたら嬉しいです。現在すでに始めているのが、化学療法中の患者さんを対象とした、災害訓練ツールの試作です。視覚的に理解しやすい形にするため、AR(拡張現実)やVR(仮想現実)の技術を活用し、リアルな訓練を体験できるシステムにしていけたらと思っています。
また、患者さん向けに作成したプログラムは、看護師向けの支援ツールとしても活用できるよう発展させていく予定です。看護師は日々患者さんにセルフケア指導を実施していますが、指導にあてられる時間や場面は限られています。日々の生活上の困りごとの説明でその時間が終わってしまうことが多く、なかなか災害時の備えに関してまで指導する時間が設けられないのが現状です。だからこそ、セルフケア支援のなかに災害対策の要素を組み込んでいく仕組み作りが重要だと感じています。
産学連携について
これまでに企業と関わったご経験はありますか。
- 今津:
- 私自身の研究では、企業と直接関わることはほとんどありません。ただし、教授が進めているプロジェクトの一環で、東京都総合防災部と共同でおこなっている「大規模災害時の帰宅困難者の対応力強化」に関する研究には携わっていました。具体的には「帰宅困難者対策協力会」という組織で、東京駅周辺の企業や民間施設と協力し、帰宅困難者を受け入れる一時滞在施設の運営をサポートしてきました。しかし、これはあくまでも行政が主導する防災対策の一環として関わっている形です。一方で、がん患者さんの災害対策に関しては、企業との協力の可能性が見つけられていません。がん患者さんが災害時に備えるために、何か特別なものを購入する必要があるかというと、必ずしもそうとは限りません。

- 例えば、消化器がんの患者さんでストーマをつけている人なら、ストーマ用のパッドを多めに準備しておくことが大切ですし、水分を多く必要とする方なら、通常より多めの飲料水を備蓄しておくことが必要になります。しかし、それは患者さんの状態によって左右される部分が大きく、がん患者さん全員に共通する備えはなかなか見つかりにくいのです。これこそが、企業との連携を難しくしている要因のひとつかもしれません。
仮に「がん患者さん向け防災セット」のようなものを作るとしても、個々のニーズの相違が大きく、画一的なセットを作るのは難しいと思います。ただ、例えば「このタイプのがんの患者さんには、こういう備えが必要」という分類ができれば、もう少し実用的な形に落とし込めるかもしれません。企業と連携する一つの方法として「防災アプリ」には可能性があると考えています。現在、東京都などが提供している防災アプリにはいくつか種類がありますが、一般的な防災情報が中心で、病気を持っている人向けの備えを細かく案内するものはあまり目にしたことがありません。もし、個々の体調や病状に応じた「あなたに合った防災対策」を提案するアプリがあれば、がん患者さんだけでなく、糖尿病の方や高血圧の方々にも役立つのではないでしょうか。正直なところ、私自身、企業の方とどのように連携できるのか、まだイメージが掴めていない部分があります。でも、ARやVRを使った防災訓練のツールを開発するような研究には興味がありますし、企業の方がどんな技術を持っていて、それをどのように活かせるのか、もっと知りたいと思っています。もし、企業の方が「こんな課題を解決したい」と考えているのであれば、がん患者さんの支援という視点から何か協力できることがあるかもしれません。
プロモーター教員としての取り組み
イノベーションプロモーター教員になられたきっかけについて教えてください。
- 今津:
- イノベーションプロモーター教員になられたきっかけについて教えてください。
今津:佐々木教授からご提案いただいたのがきっかけです。もともと、ARやVRなどの技術に興味があり、実際に訓練ツールを作る中で、技術についてより詳しく知りたいと思っていました。そもそも、看護の分野では、企業との関わりが少ないのが一般的です。もちろん、医療機器や製薬会社との共同研究はありますが、災害看護やがん看護の領域で産学連携を叶えた事例はあまり多くはありません。だからこそ、自分が感じている社会課題をもっと広く伝え、そこから新しいコラボレーションが生まれるような仕組みを作れたらいいなと思っています。
- 例えば、がん薬物療法を受けている患者さんが災害に遭ったときにどうするか、その対応を考える訓練を開催すれば、多くの看護師が集まると思います。でも、これはあくまで専門職の間での話で、社会全体にはなかなか広がらないんですよね。患者会でがん患者さん向けの災害対策について講演を依頼されることも多いのですが、これも患者さん同士のコミュニティでの話に留まり、一般社会に浸透する機会は少ないのが現状です。希少がんの患者さんは特に、災害時に困る方が多く、周囲からの理解や支援が不可欠です。そのため、まず第一歩としてそうした方々の存在を社会に広く知ってもらうことが必要だと考えています。そのためには、産学連携の仕組み・技術・ツールなどをうまく活用することが大事なのかなと感じています。企業と連携することで、例えばVRやARを活用した災害訓練プログラムを作ったり、防災情報をより多くの人に伝えるツールを開発したりできるかもしれません。まだ具体的な形にはなっていませんが、社会課題を発信し、企業の方々と対話を続けていくことで、何か新しい可能性が見えてくるのではないかと考えています。
産学連携において、我々がお手伝いできることや、企画の提案などがありましたらお聞かせください。
- 今津:
- 私自身、企業とどのように連携できるのか、まだ明確なイメージが持てていない部分があります。色々なセミナーに参加し情報をいただいている状況なので、今後は看護や医療の現場で活用されている技術について知り、自分自身の研究分野と企業の技術をどう結びつけられるのかを考えていきたいです。また、企業側にも、がん患者さんの災害時の課題について知ってもらう機会を設けられたら嬉しいです。それが、どのような技術や支援が役立つのかを一緒に考えるきっかけになるかもしれません。私たち研究者側からの視点だけでなく、企業の視点も取り入れることで新しい発想が生まれると思うので、そういう場を作れるといいですね。
最後に
先生の休日の過ごし方や、ご趣味について教えてください。
- 今津:
- 小学校6年生の男の子と、小学校4年生の女の子の2人の子どもがいて、育児に時間を取られています。自分の趣味を思い出すのが難しいのですが、下の子は手芸が好きみたいで、最近は一緒に編み物をしています。あとは、YouTubeで有名な料理人が紹介しているレシピを一緒に作ったりもします。

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医療イノベーション機構
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